lazy Afternoon...


随筆 本が崩れる (文春新書)』に書かれているように、
倒れて来た数万冊の本によって風呂場に閉込められる...!
とまでは、いかないものの、
処分する本しない本を分けながら、何気なしにテーブルに積んでいたら、
重さに耐えきれず、ゆっくりと崩れてきた。
ほんとうに、スローモーションのように、ゆっくりと...。
その時のなんともいえない気持...。
あぁあぁ本が傷んでなけりゃあいいなぁ...
あぁせっかくだから携帯で撮っておこう...
うぅんやっぱりどんどん処分しなくてはなぁ...
こちらの思考もスローモーション...
 
日販新10号のダンボールに少し余裕があるくらいまでの本を、
駅前のBOに処分しに向かった。
この店で買取ってもらう行為を指して「処分」と言うわけだが、
なんだか「処分」の響きがとても残酷なもののように想えてしまう...。
受付を済ませてから、さて棚を眺めて廻ろうか...と、
雑誌の方に向かって行き、ちらほら見始めたらすぐに名前が呼ばれた。
三十冊ほどをこの短時間で...?
なんて素晴らしい仕事ぶりなんだろう!と...想えるような人種ではなく、
毎度のことながら、なにを査定しているのだろうと不思議に想う。
僕が過去に似たような(こんな言い回しは失礼かもしれないが...)、
古書販売のチェーン店で働いていた時の査定方法としては、
必ずカバーと中身が違っていないか、中に書き込みがないか、
破損がないかくらいまでは調べるのが普通だったので、
まさかこの短時間でそこまでしているとは到底想えず...
毎度のことでもあるけれど、すっきりしない小遣稼ぎとなった。
買取金額には元々期待していないので、その安さには驚きもしなかったけれど、
お値段がつかなかったという本の理由くらいは聞いておくべきだった。
意識的ということはないだろうけれど、ある意味、無知を売り物にしているところが、
せどり業者やレア本探しやコレクターにはありがたいところでもあるし、
僕個人としてもそういった楽しみを持って通っている節もあるので、
なにをいまさらグズグズ言っているのだろうか...と想わないでもないが...
ちょっとした己の内におけるすれ違いの矛盾を吐き出してみた。
そう、これはただの気分さ...。