あのころは...

結局、詩に焦がれていたのではなく、
美しい「フレーズ」を求めていただけだったのかもしれない。
それじゃあかっこつかないでしょうって建前が働いてしまったようだ。
しばらくして、放哉や顕信に一時期どっぷりのめり込んだのも、
ようやく心寄せることができる「かたち」に巡り逢えたからだろう。
勘違いも多分にある"曖昧の美学"に、
歴史や伝統が入り込む余地を創りたく無いと想うのは、
無茶なんだろうか...飲茶ならうまくいくのだろうか...?
それこそラムちゃんなら大目にみてくれるのだろうか... んちゃ!
んなこたぁない...。