離れた夏の午後やっと読んでみる

 
尾崎放哉句集 (放哉文庫)
 
住宅顕信に胸焦がされて、放哉へと続く。
自虐、彼方への憧れ、他者とのつながりに対する執着、
様々な孤独感、創作での恍惚感、ささやかな感情まで...。
これだけずかずかと入ってこられるのは、やはり、
自分が求めていたせいだと想う。

誰も知らない悪い癖をわかちあう

 

特に響いた句。

昼寝起きればつかれた物のかげばかり
蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る
夕べひよいと出た一本足の雀よ
人をそしる心をすて豆の皮むく
障子しめきって淋しさをみたす
今朝の夢を忘れて草むしりをして居た
風船玉がおどるかげがおどる急いで通る
自らをののしり尽きずあふむけに寝る
大空のました帽子かぶらず
心をまとめる鉛筆とがらす
うそをついたやうな昼の月がある
こんなよい月を一人で見て寝る
寂しいぞ一人五本のゆびを開いて見る
わが顔ぶらさげてあやまりにゆく
蟻が出ぬやうになつた蟻の穴
針に糸を通しあへず青空を見る
片目の人に見つめられて居た
雀のあたたかさを握るはなしてやる
酒もうる煙草もうる店となじみになつた
鞠がはずんで見えなくなつて暮れてしまつた
笑へば泣くやうに見える顔よりほかなかつた
両手をいれものにして木の実をもらふ
こんな大きな石塔の下で死んでゐる
あけた事がない扉の前で冬陽にあたつてゐる
椿にしざる陽の窓から白い顔出す
ゆるい鼻緒の下駄で雪道あるきつづける
ハンケチがまだ落ちて居る戻り道であつた
なんにもない机の引き出しをあけて見る
色鉛筆の青い色をひつそりつづけて居る
道いつぱいになつて来る牛と出逢つた
(以上  須磨寺 大正十三年〜十四年より)